私は、緩和ケアにつきたいと思っている。
様々な出会いがあって、別れがありますし、私も卒延という現実を含め、みんなとの別れを辛く感じています。しかし、留め置かれたということは自分に足りないものがあったからであり、そこをどうにかしてなくしていかないといけません。来年の春に、みんなに笑って報告ができるように頑張っていくしかないと思います。自分の能力はいくらでも伸ばすことができます。自分が前向きに適切な努力をすることが前提条件だと思います。
では、私がなぜ緩和ケアにつきたいと思っているのかについて考えていきたいと思います。
皆さんが日々学んでおられる薬学・医学といった専門分野は時として、邪魔な存在になることがあります。どうしてでしょう。
それは、患者さんの体を蝕んでいる病よりも、治療法がもとで患者さんが死亡している可能性があるということです。
治療法が基で…嘘だろ。そう思われるかもしれません。でも、事実です。どうして事実と言い切れるのか。それは、私の身近な死を人づてに聞き、それが医療なのか…と憤りを感じたからです。
ご飯が食べれないのに、標準治療を続ける。もっと食欲が落ちる。それでも、治療する、効かない…
こんなやり方では、全くのイタチゴッコではないかと思います。ご飯を食べれないということは栄養状態が不良であるということ。そして、抗がん剤の副作用が元で食べれないのなら葉酸補充を行うレスキュー療法を行う。もしくは、氷を口に含ませることで痛みを軽減させる生活指導というものも必要です。
でも、そういう患者さんへの指導や助言がないままでは、本当に必要な治療すら効果がない状態に体を追い込む可能性があるということです。
緩和薬物認定薬剤師が常勤でいれば、患者さん本人が早世することもなかったのに…とその方の訃報を聞いたとき、残念な気持ちになりました。
そういう気持ちになったからこそ、私は患者さんが自分の気持ちをしっかり持ち、最期まで自分らしさを持てる手伝いをさせていただきたいと強く感じています。もちろん、時として医師に反発することもあるでしょうが、それは一人でも多くの患者さんが最高の生き方だったと死ぬ前に感じれるようにしていくためには必要なことであると思います。
緩和ケアにおいて必要なのは、患者さんの心の中にある「わだかまり」を除くことであると思います。そのわだかまりをとることで患者さんが笑顔になれば、癌であっても最高の気持ちで生を全うできると思っています。
私はどんなことがあっても、その気持ちを胸に緩和ケアに身を置き、緩和薬物療法認定薬剤師になりたいと思っています。
では。