薬剤師になって見せる~医療職としての吟持を持って~

106回薬剤師国家試験に合格。次なるステージを見据えて自身の気持ちを前向きに考えて、薬剤師としての一歩を

今でも忘れられない事件。

おはようございます!

後、六日。これを見ている方で察しの良い人はわかると思います。

 

はい…、阪神淡路大震災。私が、まだ、四歳のチビであった時です。

この時のことは今でも覚えています。

 

あの時、父がどんな思いで、私と弟の上に覆いかぶさったのか…。

今思うと本当に咄嗟の判断だったんだなと感じます。

 

私の父は、水回りなど危険性が高いところに対する対策に物凄く気が付く人で、

風呂周りとか台所など、チビにとって危険性があるところの対策に苦心していました。

 

あの震災の時も、母に真っ先に言った言葉

『火の元見てこい』その発言の後、ぐらつく地面に耐えながら、母は台所に

向かっていきました。しかし、その揺れでなんと私と弟がぐずり始めてしまったんですね。

 

で、その時、上から布団が飛んできた、次の瞬間、物凄い重いものがのっかて

………それが父の腹でした。当時はお腹が出ている恰幅のいい体形でしたので、

そのお腹の下に私たちはなってしまったんです。

 

私はギリギリ顔が腹より上でしたが、弟は真下。

後で気が付いた時には、顔色がちょっと悪くなっていた…

 

今なら笑い話になるところですが、当時は両親が離婚騒動の真っただ中。

母も冷静さを欠いた状況でした。

 

しかし、父が私たち二人を布団で守った挙句、そのうえに覆いかぶさっていた…。

それを台所から帰ってきた母が見て、びっくりしたそうです。

子どもを大事に思ってくれている…それがわかった母は敢えて離婚を考えなくなり

今日に至るということです。

 

あの地震の後、テレビで実況を見た時、町が倒壊し、火事が多発しているのを見て、

何が起こっているのか、全く見当がつかなかったです。

私たちのところは、震度が4でしたから、助かったものの、南部や淡路島北部は

震度7地震が起こっていたわけです。もし、そんな状況下であれば、

私の父は間違いなく亡くなっていたと思うと、本当に恐怖を感じましたし、

住んでいるところで、こんなにも、違うんだと感じました。

 

でも、一つ言えるのは、父が命をかけて守ってくれたこの命を絶対に大事に

していきたいですし、その命を粗末にすることなく、生きていきたいと

思います。

 

今週のお題:あなたにとっての『大人』って?