薬剤師になって見せる~医療職としての吟持を持って~

106回薬剤師国家試験に合格。次なるステージを見据えて自身の気持ちを前向きに考えて、薬剤師としての一歩を

阪神淡路大震災から26年…災害医療の重要性を考える。

こんばんわ。

今週のお題でいろいろな人からスターを頂きました。正直ここまで、頂けると思って

いなかったので、正直困惑しています。

 

私の前回の記事を読んでいただいた方ならわかると思いますが、私は兵庫県民です。

出身も兵庫県の田舎です。

 

今、神戸の街並みも綺麗になって、本当にここで地震があったなんて、もう誰も

思わないでしょうが、26年前、ここで地震が起こったという事実はなくなりません。

 

ただ、この地震の被災地でかなりの数の人がなくなりました。

医療提供体制もめちゃくちゃな状況。

それだけではなく、消防車や、救急車といった緊急発車する車両が被災した場所に

入れなかったということもあります。それにより、本当に救えた命が亡くなった

のも多かったというのも事実としてあります。


【貴重映像】阪神大震災の記録①

その当時の映像が残っていたみたいです。張っておきますね。

 

今回の題名にある『災害医療』。私が実習にいった病院の薬剤師のS先生が、

実際に、2011年の東日本大震災の時、現地に赴き、薬剤師として働いた経験があると

言われていました。その時の話で印象に残ったのは、

当時その薬剤部長のD先生が病院の薬剤師の人数がギリギリの中、

自分を現地に行かしてくれたというくだりです。

そもそも、人数がギリギリの中、病院から薬剤師を一人だすということは、当時の

院長も、その病院の運営法人の理事長もしたくなかったと思います。

でも、薬剤部長が行かした…。

普通、批判や叩きにあうような状況ですが、実際にはそうはならなかった。

それは、薬剤部長自身も同じ経験をしていたからこそ、現地の厳しさや大変さを

知っていたからこそ、その経験を若い薬剤師にさせることで、もし、勤務地で同じ

ような状況になった時に動けるようになる。それを見越しての判断であったから。

と先生が話してくださいました。そこでは、毎日多くの医療物資が届き、多くの人が

避難場所に溢れ、もう野戦病院のようだったと言われていました。

ただ、病院も被災している関係で、通常の診療すらままならない状況の中、薬剤師

として、自分はどういう働きが必要なのかな…と感じることが多かったと言われていま

した。

薬手帳を持っていない患者さん、持っている患者さん、必要な薬がない時、薬剤師

として、どういうことを考えていかないといけないのか。

そういう自問自答を繰り返し、それでも薬剤師として求められている働きをして

かえってくることができた。

 

長い話を聞き、私が強く思ったのは、病院が被災したら、通常の診療はおろか、

緊急を要する手術すらも一切できない。そういう一大事を想定して、日頃どれだけ、

地域の診療所と病院で連携がとれているのだろうかと感じました。

そのうえで、災害時では、診療所の医師の避難場所の巡回や、外で寝泊まりしている

方に対する巡回などを行うといった余裕があるかどうか。

薬剤師であれば、薬の管理だけではなく、衛生環境の状態の確認ができることが

求められていると思います。特に、避難場所において、不潔になり易いのはトイレ

です。トイレの清掃・消毒なども、率先して行うことのフットワークの軽さも、

必要だと思います。そして、DMATやJMATなどの災害医療のチームが来る前に、

被災から三日間の間にどれだけの被災者を守れるかといったことにも、意識を向けて

日々、備えていかないとだめだということです。

 

なかなか、難しい話ですが、このコロナ禍でも、自分の命を守るために、出来る

体づくりの強化、感染対策の強化が求められると思っています。

 

災害に向けて自分が医療関係者として、どう動けるのか…そこを常に考えながら

日々過ごして頂けるといいなと思います。もちろん、自分自身も。