薬剤師になって見せる~医療職としての吟持を持って~

106回薬剤師国家試験に合格。次なるステージを見据えて自身の気持ちを前向きに考えて、薬剤師としての一歩を

私が思うこと。

こんばんわ。

国家試験が終わって、ようやく一週間が経ちました。

まだまだ、気持ちの面では、全く不安定で、自分が持てない状況であるということに

変わりがないのですが…。

実は皆さんに考えて欲しいことがあり、記事を書くことにしました。

 

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マウントをかけてくる人たちは、多くの場合、学力マウントだけではなく、職場にお

けるマウントも実際にはあります。

私は、今回それを強く思うことがあり、記事に書くことにしました。

私の同期が『転職を考えている』と伝えてくれたこと

私の同期は、105回の薬剤師国家試験に合格し、今は二年目になるのですが、

去年ぐらいに転職活動をしているということを話してくれました。

薬剤師になった途端に上司の言い方がきつくなり、出来る人と自分を比較する

発言が多くなったということです。

そして、自分の手柄を自慢話として話すことも多く、それが日常茶飯事に

なっているということもあったようです。

出来ないなりに、一生懸命頑張る人でしたから、それにより、精神的に来なければ

…と思っていましたが、ダメでした…。

自分の気持ちがわからないところにまで、追い込まれた彼女に私はかけれる

言葉を持ち合わせていませんでした。

職場における比較は、度を過ぎると『人格否定』を起こす。

彼女の場合、予備校時代も必死に勉強する姿勢、努力が出来る姿勢をそばで見てきて

いたので、私は本当に凄いエネルギーを彼女を見てもらっていました。

そして、彼女なりの想いに触れることで、自分もやる気になっていました。

いい意味で、お互いに高め合える仲でした。

しかし、今の彼女を見ていて思うのは、精神的に疲れた姿です。

私は、人との比較は本来すべきではないと思っています。

全国区の模試を受けて、今の自分の位置を知るうえで、そこで比較して、

切磋琢磨するのは、問題ないと思います。自分の内面との比較ですから。

でも、職場での比較は、生身の人間同士を比較することです。

外面(仕事が出来る、出来ないとか、気が利く、気が利かないとか)での比較を

受けるわけです。人の好さを見て、それについて明確な差がある場合に、比較する

なら理解できますが、それも、度を過ぎれば、その人の存在意義すら脅かす可能性

を含んでいるという認識をもっと持っていただきたい。

そう強く思っています。

薬剤師という資格の重さがより人を追い詰める

医師、看護師、歯科医師と国家試験を受験しないと免許を受けることができない

のは薬剤師も同じことです。

国家資格が自分のセーフティーネットになるということも、あると思いますが、

それは、自分の存在意義が満たされている状態に限ると私は思っています。

医療現場における人間関係は、私のブログに読者登録をされている、医師、歯科医師

薬剤師、看護師の先生方ならお分かりだと思いますが、みなさん、心に余裕を持って

仕事はできていないのではないかと思います。

患者の命に目が向けられる一方で、自分の心を気が付いたら蔑ろにしている、そんな

自覚はないでしょうか。

私は、今もなお、苦しんでいる彼女を見て、資格の重みがより、人を追い詰めて

しまっているのではないか。と感じています。

違う同期からの一言

そんな話を聞いてから、国家試験が終わった私は、逆に、精神的な不安定さを

持ってしまいました。正直、どうなるか分からない中の恐怖が強く、頭が多少は

おかしくなっていると思います。

そんな気持ちと、人と比較してしまい、自分の良さすらも否定する状態であった

ので、どうしたものかと思い、大学時代の別の同期にメールしました。

すると…

『自分と他人を比較したところで、何も生まれないから、気にしないように

 している。比較されたら腹立つだけだし。』

なるほど、そうか。

もう、こうなったら開き直ってしまえということか…。

ありがとう…と感じてしまいました。

でも、そういう受け流す技術は、持っていないと自分の心の状態を悪くさせる

ことになると感じました。

まとめ

人を比較することは、学内テストとかでも、公開処刑がされている大学であれば、

良くされていると思います。自身の成績と、全体との差をみるために、成績を見る

場合は、別に問題になるとは私は思いません。

(ただこれが、学力マウントの一端になりうる可能性は十分あると思うので、

 そういうリスクがあることをしっかり認識したうえで、考えるべきでしょう。)

しかし、生身の人間同士を比較することは、やり方や言い方で、その人の人格まで

否定することになりうる危険性がさらに高くなるということに、意識を向けていく

必要があるように思います。

自分が出来ないと比較されるのは仕方ない…と考える方もいます。

もちろん、出来ないなりに努力を継続している、上司もそれを評価できるという

良好な関係があっての話であると思っています。

パワハラに近い、暴言や自慢話を継続して聞かされることのしんどさを考えると

私は、決して仕方ないことだとは思えません。

行き過ぎた言動は、やめて欲しいと、感じています。