札幌地裁の判決が、我々に問いかけてくることとは?
こんにちわ。ようやく『司法』が重い腰を上げてきたなという印象を得ました。
今までの私の記事でも書いていきましたが、読んでいただいているでしょうか。
この間、東京地裁の原告の方がなくなった方についての記事も書いていましたので
読んでいただけると嬉しいです。
ここまで書いてきて、思うのは、国家が本来憲法上の不平等を無くすために
必要な法律を作る立場であるのに、それをしてこなかったですし、司法も
敢えて知らないふりを決めていた節があったなかで、今回の地裁の判決は、
『性的マイノリティの方たちに対しての不平等への是正を改善すること』を
国に求めていかないとダメだという気持ちが出てきた証拠と取ることが
できます。
しかし、この記事を見て思ったのは、国側の発言においての違和感でした。
『夫婦=婚姻関係がある男女』という考え方。
『子供を産み育てる上で、共同生活を送る関係で、法的保護を与えている』
『合理性は明らか』という発言。
ここを見てまず思いました。日本が世界に後れを取っている根本的な要因。
それが『男女間の婚姻制度以外は認めない=多様性のあり方への不認識』
であると思います。海外では、同性婚が認められている事が多いですし、
それにより、不利益を被ることがないです。
一部の国や地域では差別も残っていることがあるとはいえ、大半の国
では、認められていると考えています。
実際には、以下の記事があります。
ここに書かれている記事を見て頂くとして、日本も、実際には、LGBTの人権に関する
国連決議に賛成しているんですね。
それにもかかわらず、こういう発言を司法闘争の場で言われるということ自体、
矛盾しているということができます。
オリンピックの理事に女性を入れることに対しても、そうとうないちゃもんがありまし
たが、本当に必要なこととして、『多様性』が叫ばれていることへの意識がないとも
取れますよね。
医療者の中には、『男女恋愛からの結婚に対して』胸を躍らされている方もいますし、
ブログを拝見していて幸せになって頂きたいと感じることもありますが、
ただ、そういう人ばかりではない、婚姻関係すらも持てない方の存在に目を向けられて
いる方が果たしてどれだけいるのでしょうか。
私には、疑問しか持てません。
そういう辛さを抱え、それでも、生きて行かないといけない人たちがいることを、
本当の意味で解って欲しいと思いました。
それぞれが、大切だと思える人と一緒になれることが、今後の世界で求められる
幸せではないかと思います。異性間でも同性間でも同じことが言えると思います。