薬剤師になって見せる~医療職としての吟持を持って~

106回薬剤師国家試験に合格。次なるステージを見据えて自身の気持ちを前向きに考えて、薬剤師としての一歩を

『普通』…どこに基準を置くべきなのか?

 こんばんわ。今日は皆さんに、考えて欲しいことがあります。

www.msn.com

皆さんの中にある『普通の基準』ってなんでしょうか。よく、周りと一緒にできない=

普通ではないとみなされる事がありますが、果たしてどうなのでしょうか?

 何を持って『普通』と定義されているんでしょうか。

今回はこの件を考えてみたいと思います。

『普通の子なら、そんなに時間がかからないのに』忘れられない発言

私はある意味一風変わっていました。それにより、いじめのターゲットになることも

ありました。ただ、自分が普通の基準に外れている事に気が付いて、初めて奈落の底に

突き落とされたと感じた発言が上記の言葉です。

 確かに、みんなと同じことをするのに、時間がかかったりすることはあっても、同じ

ように、行動できるし、特に問題がないと思っていました。

しかし、親に『普通の子なら、そんなに時間がかからない』と言われた時、私は

普通の基準から逸脱していることが判明しました。

悲しいですが、そういうことを言われる子も悪いので、改善できる部分は改善すべき

でしょうが、そこまで言われなくても…と心が悲しかったのを思い出しました。

『普通から突き出してこそ、成功する』中学受験をきっかけに『消えた壁』

 私は皆さんがご存じの『中学受験』を経験しました。それについては、記事で書かれて

いますが、前記事でしっかり理解して欲しいのは、『親の自己満足で中学受験を

させないこと』であります。親が受験校の選定に口を挟むことは決してあっては

なりません。受けるのは親ではないのです、子供本人が受験生であるということを

きちんと理解してほしいです。

私の小学校では、中学受験をする子はほんの三名ぐらい。他の子たちは、地元に

残っているか外にでているかの話になると思います。

そんな世界にいたからこそ、一人ではないんだという気持ちになることができました。

もちろん、田舎で勉強しない=普通ですが、そこから突き出す=普通でないという

過程を経ないと、成功を手にすることはできません。そういう事を考えた時、

もっと、周りに目を向けていくべきではないかと心なしか感じていました。

発達障害ASDやAD/HD)や知的障害の方』って、普通ではないのか?

適応障害などの精神疾患や、発達障害ASDやAD/HDなど)を抱えている子を持つ

親に向けられる『批判的な視線』があります。

この『批判的な視線』に私は、大変違和感を感じています。小児精神科などの病院

で診断を受けることができれば、子供のしている事がどういう事を意味しているのか

理解できます。しかし、周辺の方たちには理解し難いものもあるんだと思います。

だいぶ、昔の話ですが、私が普通列車に乗り込んで、少し睡眠をとっていた時でした。

前から『うわー、うわー』という声がしまして、少し気になり薄目を開けてみると

本当に『あ』となるお子さんでした。私の場合であれば、『こういう障害を持っている

方もこの世にいるんだし、仕方ない』と思える部分というもの、知識があるからこそ、

対応を決定することもできます。しかし、そのような実情を知らない方に言わせて

みれば、『うるさいのは親の育て方が悪いから』『しつけがなっていない』という

事を言われるんですよね。前にも記事にしましたけど、障害を持っていても、キチンと

生きている方は、それなりにいますし、彼らにも、尊厳というものがあります。

その方たちを育てている親御さんの苦労を本当に、ご理解していますか?となりまし

た。この動画をみて、本当の意味で理解してほしいです。

kokkasiken.hateblo.jp

 『普通の基準』は人それぞれ。自分の中にれっきとした基準を設けておくべし

私の中で設けている基準の中で、これを言うのはどうかと思いますが、食品に対する

好き嫌いがないというのは、私の中で最低限の普通です。

確かに、体が受け付けない、アレルギー性疾患の関係でダメという、個々の性質に

伴う禁止食品であれば、それは致し方ないんです。が、食わず嫌いや、みんなが

一緒に美味しいと食べている時に、『あれが嫌だ』なんていう方。雰囲気が壊れる

どころか、台無しになってしまいます。そういう場の雰囲気を壊すような方とは

私は敢えて一緒にいません。と言いますか、周りは好き嫌いのない方たちばかりで

した。本当の恵まれていましたね。

そういう最低限の『自分の中の普通』だということが、はっきりわかれば、あとは楽で

す。そういう事を敢えてしっかり出しておくことで、周りにやってくる方たちは大体

同じような考え、価値観の方が多く来られます。周りに公言しておくことは、あとで

楽ができるんですよね。そういうことを考えると、真面目に自分なりの基準を設ける

ことは結構大事ではないかと感じました。

『普通の基準は誰でも変えられる。そこに囚われ過ぎるのは、良くない』

普通~という会話から見え隠れする思惑。普通なら○○○○ができるとか、そういうこ

とが上手くいくもん=普通と考えられている方が多いです。

しかし、実際に上手くいく方はごく稀です。ほとんどは、どうすることも出来ずに、

佇んでいたということを理解している方なら、今回の記事を読んで理解できるのでは

ないかと思います。普通と思う部分から突き破らないと景色が変わらないこともあると

思います。それは、受験を経験している方ならわかると思います。

中学受験を経験しているからこそ、見える世界は異なりました。でも、田舎の普通は

勉強しないことです。勉強するという普通ではない行為をしないと、自分が手にしたい

ものを掴みとることは難しいと言えます。自分の覚悟がどこにあるのか?

まず、そこに焦点を当てて考えてみませんか。

まとめ

周りから『普通ではない』という言葉を受けても、『普通ではない』ことを継続し続け

る子がいます。その子たちの努力に目を向けられているでしょうか。

周りと同じように『普通に楽しい生活』を送りながらでも、簡単に

薬剤師になれてしまう方もいます。しかし、そういう方は、特殊であるということを

意識を持たないとだめです。

…話がかなり逸れましたが、私自身がこの際はっきり言っておきたいのは、

『目に見えない普通というものに対して、れっきとした定義がないものに、必要以上

に恐れ慄くのは間違いであり、それが基で、心を病むことになるリスクがある』

ということです。これは絶対に必要ですね。そういう事を理解しておくことで、何が

大切な基準なのかなっていうことをきちんと考えていくことが必要です。

それでは。