薬剤師になって見せる~医療職としての吟持を持って~

106回薬剤師国家試験に合格。次なるステージを見据えて自身の気持ちを前向きに考えて、薬剤師としての一歩を

SNSによる誹謗中傷を無くすための考え方など

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こんばんわ。私も、この事件を、たかまつななさんのYouTubeチャンネルで

知りましたが、SNSでの誹謗中傷がどれだけの人の心に、傷をつけているのか

を考えて欲しいと感じました。

補足:自分なりの考え、建設的な批判を主に記事を書く

今回の記事を書く前に、私が大切にしている事を書きます。

私は、自分なりの考えをこの場で書くことにしています。そして、良い方向に

目を向けるようにしています。もちろん中には、記事に対する批判的な意見も書いて

きました。それは、私が思う事だからではなく、私以外でもそう考えている可能性が

あることを踏まえた上で書くようにしています。

そのうえで、この記事に対しての批判がコメント欄でついたら、その時は、真摯に

向き合う。誠心誠意向き合っていきたいと思っています。

医療の現場にでも、SNSが使われている

特に、今やTikTokなどを使って医療現場の様子を撮影していたり、医師が使って

話をしていたりと、いろんなところで、SNSが使われています。

凄いなと舌を巻きますが、そうもいっていられない事情もあるんだろうなと感じて

います。もちろん、今は、SNSが履歴書替わりともいえるような働きをしている

ので、凄いなと感じていますが、一方で心無い言葉をかけられ、精神的にしんどい

方もいるのではないかとも感じています。

 SNSだけではない、YouTubeにでも起こる

医師でも、薬剤師でも、YouTubeを使って自身の言葉で多くの専門的な話をされて

いたり、少しおちゃらけていたりと楽しい動画を多く配信してくれていると

感じます。しかし、時にこういう方たちがしんどい思いをされてしまう危険性が

あるんです。それは、コメント欄が、匿名性が高いため、好きなように、誹謗中傷

が書けてしまうという危険性があります。

私はよく見させて頂く、シオリーヌさんも、『こちらは、全くフェアではない』

とこぼされていました。確かに、性教育動画を配信しているからこそ、そういう

セクハラ様な行為をしてもいいという勘違いを起こされる可能性があるんですが…。

 そういったリスクを背負ってまで行おうとしていることに、心を打たれました。

自死をした被害者に向けられた『悲しい言葉』

うつ病を発症し、発症してすぐと、回復期の二度、自死の可能性があるということを

知らないといけないというのは、医療系学生なら、理解できると思います。

実際に自死を選んでしまった方がいる中で、その方を『死してなお痛めつける』ことに

意味があるのでしょうか。私はないと思っています。

テラスハウスという番組を見たことがないですが、番組そのものに『やらせ』が

あったというのなら、それは大変な話です。言われた方は、煽られた通りにして、

それを周りから批判されるのは、本当に『悲しい』です。

私が同じ立場に立っていても、そんなこと聞いていない…と強く抗議すると

思います。それだけ、この事件に衝撃を受けました。

そんな事件で自死をした方に、『地獄に落ちろ』って…どういうつもりで、この

一文を書かれて投稿されたのでしょうか?

私は、凄く聞きたいですし、お母さまの心境を思うと、なんとも受け入れられない

気持ちになってしまっているのではと感じました。

 薬剤師になるという意味を再び考えるきっかけに…

この事件があった時、私はあることを真剣に考えだしました。

それは、『精神関係が壊れていく方の少しでも力になれないか』という気持ちを

持ち始めたのがきっかけです。

ただ、未だに『精神疾患』には、偏見、差別があります。統合失調症の事を

旧名の『精神分裂症』と言われているご高齢の方も医療者にはいます。

精神疾患を発症するまでの要因は、誰でも持ち合わせています。それが、ある事

によって、表に出てきてしまっているだけです。ストレスによって、鬱を発症する

ことだってあります。そういう実情に目を向けることの必要性をより深く見つめること

はできないのかな?と私は思っています。

自分が関心がある『緩和ケア』においても、精神的な混乱が起こることがわかっていま

す。それに対して、自分として、精神的な部分の変化に対してもきちんと意識して

いないと患者さんの心の変化、変動に気づくことができません。

そうならないように、受け入れるための知識として精神疾患や精神の病態を臨床的

な知識』まで知っておく必要があると感じています。

まとめ

皆さんには一つ言っておきたいことがあります。

『絶対に、自死を選んだ人を責めないで欲しいです。』なぜ、そう言えるのか?

これは、私が本当に精神的に辛い時に、気づかされた事がありました。

そう、自死を選びたくない人が本当は多いんです。でも、選ばないといけないぐらいに

心が一杯一杯な人がいます。その人たちの心の苦しみを、もっと早く気が付けなかった

か?そう思い辛くなる方が多いです。でも、簡単にはいかない。

だからこそ、自死を選んだんです。それは決して、笑われるようなことではないんです

。苦しくても、自分だけで抱え込もうとしたんです。何とか立ち続けたくて、努力して

いたと思うんです。でも、心の中で中かが弾けて、自死を選んでしまったんだと思いま

す。だから、自死を選んだ子が弱い子ではなく、それだけ自分で抱え込もうとした

強さがあったからこそ、他人に頼れなかったんだということになると思うんです。

でも、そういう意識、認識は未だに形成されていません。こういう犠牲になる子の

命を守るためにも、自死を選択することがないような行政からの支援が今後必要になる

と思っています。

 

 

お金の使い道~あなたはどうですか?~

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こんにちは。

お金の使い方って結構難しいなと思う部分がありますが、自分が『必要な出費か

そうでないか』をしっかり意識しているかで、全然異なってくると思います。

そして、必要な出費も、人それぞれ違うと感じています。

私自身の考え方を書いていきたいと思います。

『視野を広げるために』本代や勉強費という、自分への投資

私は、薬剤師という資格を取るために勉強はしてきました。

しかし、自分にとって『必要な出費』と考えた時、私の中で一番大事なのは、

『視野を広げる』ための投資だと感じました。

自分で動き、情報をとりに行く。それはできないといけない立場ですが、

ネットだけの情報をとりに行くのは少し違います。それらは、無料ですから。

本や勉強用の成書は、数千~数万ぐらいの出費が出ます。お金を払うだけの

ものを自分に与えてくれる。そういう物であると意識しています。

これから、薬剤師になったとして、学会などに行くことも多くなるでしょう。

患者さんから聞かれることも実習の比ではないぐらいに、多くなることが

容易に予想されています。その時に、成書が手に入っていれば…そんな後悔を

自分はしたくないと思っています。

精神衛生上悪い⁈『食費』は、あまり削減しないほうがいい

私は、医療系学生であるのに、勉強と同じぐらい、食べることも好きです。

だから、今はかなり、『豚』に近くなっています。

そんな私が、何を血迷ったか、『食費』を削減しようとした経験があります。

もちろん、行き過ぎない程度を心に決め、行っていましたが、徐々に、

精神的にしんどくなってきていました。

痩せてしまったんですね。自分の心も蝕んでいたんですね。本当に

馬鹿野郎だったのだなと自分を今なら引き戻せると感じました。

もちろん、食費にお金を掛け過ぎるのも問題になりえると思うので、だめですが、

精神衛生上悪いぐらいまで、削減するのは、かなりリスクがあるということを

理解しておいてほしいです。

 『人のために使う』ことも必要な出費

皆さんは、どうでしょうか。今はコロナ禍で、歓送迎会や送別会ができない感じに

なっていますが、それ以前は結構行われていたと思います。

私も、二回ほど、幹事を経験しました。どちらも私主催で執り行わせて頂きました。

もちろん、親にはこういう会をすることは通知済みであったので、少額の融通はして

頂きましたが、店との交渉、予約は完全に私が行いました。

その時に、私が気持ちよく代金を支払っているのを見て、先輩から、物凄く

頭を下げられてしまったのです。私は、かなり、気持ちよくお金を出していたので、

あまり気にしていませんでした。そして、同じように、二回目もやらせて頂きました。

実際に行ってみて思ったのは、気持ちよくお金を払う行為そのものには意味はない

が、周り回って自分にいい影響が返ってくるということを感じました。

確かに、親の金でできていることであるということはもちろん感謝すべきことです。

その一方で、そういうお金の使い方があるということも、親から学んだ事の一つである

とも感じています。

自分のための投資は自分に直接的に返ってきますが、人のために使うことは、自分には

間接的に返ってきます。そこの意識があるかないかで、人間関係も変わってくるように

感じます。そこの部分の意識もお金をいい意味で使うことに繋がると思います。

まとめ

お金の使い道は人それぞれあって、異なるものの、やっぱり、使うにしても、

気持ちのいい使い方をして行くことって結構大事だなというのは思うんですね。

これは、私だけではなく、私と同じように思っている方もそうだと思いますが、

出し渋りをする人と、気持ちよくポンと出せる人って、印象が異なってくると感じま

す。良質な人間関係においても重要な役割を担うことも含めて、意識を変えていくこと

が結構大事な部分かもしれませんね。

 

新型コロナワクチン接種で思う事

おはようございます!なんか違和感を、私が持っているのは間違いなのでしょうか。

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二月から、コロナ医療最前線の医師他医療従事者へのワクチン接種が始まりましたが、

このワクチン接種への不安から、同じ医療者でも、ワクチンを受けないという意見が

出ているみたいです。とはいえ、自分がならない、なっても軽症で済むというワクチン

自体の働きを知っている、知識がある関係者がなぜ、不安になる必要があるのか?

ここに違和感を感じています。

医療の崩壊は時間次第

私は、まだ、田舎にいる関係で都会の様子などは、報道を通してしかわかりません。

しかし、田舎でも、新型コロナの影響は少なくないのが現状です。私の地元近く

の病院では、すでにコロナワクチン接種が始まっており、現場の安心感のために

は必要だというのが、わたし自身の考えです。

田舎の医療現場は、都会のものと比べて潤沢ではないです。機材も、人材も少ない

そうでなくても医師不足にあえいでいる病院もあるんですよね。

そんな中でも、現場を回すことと、感染の拡大を最小限に食い止めることが

実際に求められているということを含めて考えると、医療者自身がワクチンを

摂取しないという選択はないのではないかと感じています。

ワクチンが変異型ウイルスに効かない?

アストラゼネカ製のワクチンが、南アフリカ型の変異ウイルスに効果が低い

ということが臨床実験で分かったみたいです。とはいえ、私自身、ウイルスが

変異する事が当たり前という認識を刷り込まれた立場から思うのは、変異が

あろうがなかろが、ワクチンを打って抗体を作っているということは、

それだけ生体内で、免疫機能が構成されているわけですから、それを使える

だけで、もしなったとしても、重症化を防げる可能性は0ではないと思うんです。

ワクチンに依存した予防対策に問題あり

これは、他のワクチン接種でも言えるんですが、ワクチンを接種しているから

ならないわけではないんですね。なぜ、ワクチン接種をしても、発症する人

しない人が出てくるのか。それは、『自分がならないための体づくり等の努力』

をしている人、そうでない人がいるからだと思うんです。

運動する人やジムで汗を流している人、いろいろだと思いますが、自分でできる

一番簡単な感染防御であると思います。そして、幼少期からの徹底した免疫機能

の強化。それができているというものが前提になってこそ、本当の意味で、

感染防御や感染コントロール、予防が確実なものになると思っています。

正直なところ、本来それを奨励すべきことなのではないか?と感じています。

前の記事で書いていた物があるんで読んでみてください。 

kokkasiken.hateblo.jp

 ここで書いている事は、本来医師他の医療者が、親御さんに対してでも

言わないといけない部分であると思うんですよね。確かに親御さんの

心配に対して御守替わりに処方箋を出してしまう気持ちはわかりますが、

結局は、自身の免疫機能の強化に努めることが大事であると思います。

 ワクチン接種をする意味を考える

今までに接種経験がある方ならわかると思いますが、接種をしても

弱い場合もあります。もちろん、私のように、教員に『異常値』呼ばわれ

するような強い免疫が付く場合もあります。

ただ、個人差があったとしても、それなりの抵抗力というものは

付ける必要があるのは、分かって居られると思うんです。

コロナ診療をされている方は、自分がならないために、そして患者さんに

うつさないためにも、接種が求められていると思います。

まとめ

確かに、出されているとはいえ、データが未だに少ないため、思う事、

不安な事が多いのは、今回のコロナにおいては仕方ない部分であると

思います。その一方で、ワクチンを打ったらならない…というような

意識の方も居られるし、そういうことを言われている方もいました。

でも、実際に考えてみてどうでしょうか。

自分たちがならない身体づくり等をしっかりしていることが前提にある

という意識が、未だに足りていないのかな?と感じることも多かったです。

ワクチンを打つ、打たないは個人の自由です。しかし、自分たちのその選択

一つで、周りの方が、犠牲になる可能性もあるということも認識した

上で選択をされて欲しいと思います。

以上です。

 

睡眠時無呼吸症候群と他の疾患との相関性

こんにちは。睡眠時無呼吸症候群と他の疾患との相関性が気になったので、

調べてきました。

そもそもですが、なぜ、これほどまでに、睡眠時無呼吸症候群に対して、神経質に

なっているのかですが、これは、私が診断を受けたからであります。

実際に、診断時に、貰った結果の用紙には、他の疾患の発症リスクが、どの程度

あるのかが書かれていましたが、軽症であった私は、特に問題ないという程度

で終わっていました。しかし、やっぱり、自分の気持ちにモワモワがありました。

実際に調査してみた結果を自分なりに嚙み砕いてみたいと思います。

睡眠時無呼吸症候群の分類

睡眠時無呼吸症候群には、二つ分類がわかれています。

一つは、『閉塞性睡眠時無呼吸症候群』ともう一つは、『中枢性睡眠時無呼吸症候群

の二つがあります。どちらかの単独型か、混合型かにわかれていますが、私は、混合型

という診断がくだりました。

一時的に、中枢性が起こっていることは、特に問題がないということでしたが、それで

も私は不安でした。

睡眠時無呼吸症候群は、ただの睡眠障害ではない

皆さんの中にも、睡眠障害の一環として、睡眠時無呼吸症候群を捉えている方が

居られるかもしれません。が、そんな生易しいものではないということが判明した

事を、順天堂大学大阪大学が論文でまとめています。

ci.nii.ac.jp

ci.nii.ac.jp

何と、子供の発達にまで、影響を及ぼす可能性も示唆されているんですよ。

成人では、循環器疾患で高血圧や心疾患などがありましたが、子供では、

精神疾患としてAD/HD様の症状の発症リスクを起こす可能性が高くなることがある

論文がだされています。成人であれば、脳におけるリスクよりも、循環器

や内分泌系の疾患へのリスクを気にする方が多いと思います。が、小さな

子どもに発症した場合に生じるリスクというのは、長期的に見れば、子供の

正常な発達を脅かすことにもなる、恐ろしい現状であるということになります。

(子供の場合は、閉塞性睡眠時無呼吸症候群が問題になることがあり、

集中力の低下、その他の精神面での問題が生じる)

 睡眠時無呼吸症候群の早期治療介入の必要性

睡眠時無呼吸症候群の治療には、まず、CPAPというものがあります。これは、

機械の力で、空気の通り道を強制的に作り、そこに空気を入れていくことが出来ます。

しかし、これの対象にになる方は、中等度~重症の睡眠時無呼吸症候群の患者さん

に限ります。調べるべき数値に、AHIというものがあります。

これらは、無呼吸低呼吸指数といい、この数値の境界線が5とされています。

もし、この数値が5以上であれば、確実に、『睡眠時無呼吸症候群』と診断を受ける

事になります。

 

             AHI(無呼吸低呼吸指数)

                  軽症:5~15(小児では1~5)

                                              中等症:15~30(小児では5~10)

                                                   重症:30以上(小児では10以上)

成人の数値を3で割った数字ということで、計算ができますが、こういう話が出てき

ます。こういう風に見ると、数字が大きくなるにつれて、リスクが大きくなること

が容易に想像できると思います。

その他には、扁桃腺肥大に伴う場合や、そもそも鼻疾患がある場合は、外科手術が

必要な場合もあります。歯科領域で、口腔内装置を作成することも、ありますが、

どれにするかは、実際に受診した歯科医院、耳鼻咽喉科の専門家がみた上で決める

ことになります。

日々の生活をどうするのか?

 睡眠時無呼吸症候群を起こしてからでは遅いというのは、皆さんの総意だと思います。

では、どうしたらいいのでしょうか。

実は、骨格の問題などを含めるとどうしようもないというのが現状だと思います。

しかし、自分の不摂生が基で、肥満化することぐらいは、自分でセーブすることは

できると思います。日々の生活の中に、運動を取り込むことも大事です。

そして、そういう自分なりの努力をしても、睡眠におけるしんどさがあまりにも

しんどい場合、その時は、必ず受診してください。大切なのは、自分自身です。

そのまま放置をすることで、亡くなる可能性もあることをきちんと理解して

おかないといけないと感じました。

          

 

 

あの事件から26年~事件から見えてくる『本当の意味』での怖さ~

おはようございます!皆さんは、覚えているでしょうか。

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事件について

多くの人の命が、この事件で失われた…あの日からもう26年となります。

1995年の3月20日に起こったこの事件で、あの猛毒と言われるサリン

使われ、無差別殺人が行われました。

1995年の1月17日に、あの阪神淡路大震災が起こっていましたが、あれから

まだ、二か月も経っていなかった…と考えると、何とも言えない時に、事件が

起きたということになります。

事件で使われた猛毒:サリン、その特性から見る事件の怖さ

地下鉄サリン事件で考えないといけないのは、このサリンの毒性がどれだけのもの

かであると同時に、この事件でなぜ、サリンが使われたのか、この二つの視点について

です。

まず、サリンの毒性についてですが、この化合物が実際どういう構造をしているのかを

見れば容易に推定ができます。

サリン に対する画像結果この構造を見て、どうですか?

この構造に含まれているフッ素。これがあることで、より一層効果が強まることが

分かっています。ステロイド剤にも、『フルオロ~』というものが付きます。

で、一番見ないといけない部分がどこかですが、それは、『リンと酸素の結合』です。

この結合がかなり強いんですね。この結合は、お互いの親和性が高いです。

そのため、生体に入った時に、コリンエステラーゼを強力に阻害することが分かってい

ます。阻害様式はこちらです。

ソース画像を表示

出典:acetylcholine esterase

ここから見て頂いたわ分かりますが、コリンエステラーゼの結合部位、エステル部位に

リンが結合します。この時に、リンと酸素の親和性が高いために、強力な結合(共有

結合)ができるため、阻害作用が強くなるため起こるということが言えます。

なかなか外れないので、不可逆的な阻害作用をもっているということができます。

この作用の甚大性が、この事件をより悲惨なものにしたということが出来ます。

サリンが使われた要因、それは、確実に人を殺める事ができるだけの強さが

あったから…という恐ろしい結論を導けます。

サリンの解毒

コリンエステラーゼ阻害作用により、生体内で、多くのアセチルコリンが存在すること

でちょっと不都合なことが起こります。縮瞳により、暗く感じることや、消化器系の

過剰の蠕動運動が基で、下痢がおこったり、気管支平滑筋が収縮されることで、呼吸

困難になったり…数えればキリがないレベルで、いろんな事が起こります。

サリンの場合は、自力での分解が難しい化合物であったことから、症状をより

重症化させたとも言えます。

こういう症状を抑えるためには、これしかないです。そう、コリンエステラーゼ賦活薬

と抗コリン薬です。今回の場合は、コリンエステラーゼ賦活薬のPAMの使用がよくされ

ました。が、それだけでは、まだまだ完全ではない。アセチルコリンが大量に存在して

いるので、それが減少するまでかなり時間がかかります。だからこそ、抗コリン薬

を使って、ムスカリン受容体に結合するアセチルコリンと競合する形で遮断すること

が必要になってきます。

これらが使用されることで、症状が落ち着いてきます。こういう薬物が病院に潤沢に

あるところとないところとあったそうです。それを考えると、命の選別がされた可能性

もあり、究極な話だ…と何もいえませんでした。

まとめ:二度と同じ過ちを繰り返さないために

実際に、未だに障害を抱えている方、実際に、救命に当たって命を落とした職員の

存在など、まだまだ、この事件は本当の意味では終わりがない事件であると感じて

います。危険性の高い薬物を地下でまき、多くの命を無くした、とんでもなく、

凶悪なやり方に、私は恐怖しか持ちません。

しかし、このような知識や、検査技術などを使い熟す力も、必要であるということ

がはっきりわかった事件であったと言えるのではないかと感じています。

薬剤師国家試験においても、実際に出題された化合物であります。が、それだけで

終わっては意味がないと思います。この薬物の怖さ、その作用の意味を汲み取り、

今後も勉強を続けていきたいと思います。

実力と礼儀、この両輪の先に、人としての成長がある。

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こんばんわ。報道で見られた方、多いと思います。

今回の発言や、森元会長の発言と、時代にそぐわない失言が多いと思います。

しかし、今回の発言は、『渡辺直美さんを、侮辱又は、冒涜した』と言われても

おかしくない話です。私は、ありえないと思っています。

私は、渡辺直美さんを応援しています

来月から、ニューヨークに拠点を移すことが決まっている方ですが、

日本での人気度合いはかなりのものであると感じています。レディ・ガガさんからも

公認されるぐらいの方ですから、実力も申し分ない方です。

ただ、この人の尊敬すべき点は、『人一倍の腰の低さ、礼儀正しさ』でしょう。

実力があるから『偉そうにしていればいい』と、感じてきてしまう方が多い中で、

彼女だけは、対等に物を話される方だと、言われていて、実力だけで、のし上がって

きた方ではないとははっきり感じました。

 実力だけの世界ではない…それをはっきり認識させた彼女の凄さ

渡辺直美さんの発言が、今かなり話題になっていますが、内容を見て、『これが大人の

対応』なのかと心底驚き、感心しました。

自分の体形を気にすることなく、堂々としている彼女が、お笑いに顔を覗かせる時は、

めちゃくちゃ面白く、抱腹絶倒間違いなしのレベルです。しかし、今回の発言は、

彼女自身の強さの表れであると共に、『芸能の世界が、実力だけの世界ではない』とい

うことを物語っているとも感じました。

 『実力がある』で胡坐をかいだら、最後…

今回の発言、いや失言を言われた方に対して、かなりブーイングが巻き起こっている

ようです。巻き起こって当然と思う反面、実力だけの世界だという勘違いと、胡坐を

組み続けてきたつけを受けてしまったのかなとも感じました。

医療現場においても、同じことがいます。特に、年数を重ねて経験が豊富になると

人間ですから、気が大きくなることも間違いなく起こります。

しかし、そこで終わってしまい、『自分には実力があるから…』という意識で物を

言ったり、他の方に対して下に見るといった態度や言動をしたらどうでしょうか。

いつか、大きなしっぺ返しを食らうようになります。それが今回の失言をされていた

方はわかって居られたのでしょうか。腰の低さや、礼儀正しさというものは、なかなか

身につくものではないです。それを思うと、私は、『ああ…なるほどな』と思いまし

た。

 真面目に誠実に生きることが大事かも

 私も、ある先輩から『真面目で誠実さがある』と言われたことがありました。

そもそも私は出来が悪いということを早期から自覚していました。だからこそ、できな

い自分を知っていたからこそ、努力でどうにかしないとダメだと感じていました。

努力でなんとかなること…そこで自分が考えたのは、『わからないことを、わからないと言える勇気を持つ。』『自分がこれだけやったというものを持たないとダメだ』

という意識から、常に努力していました。

もちろん、その努力が時に違う方向に行ってしまい、的を外してしまっていたことも

ありました。でも、その的を外した努力であったとしても、また違ったところで

芽を出すこともある…ということを経験しました。

そういう事の繰り返しが、実際の勉強してきたなかであったということを考えると、

自分がしていたことが決して無駄ではなく、していなかったらわからなかった事も

あったと思います。そういう事を含めると、自分から、人に対して、頭を下げるという

姿勢も身に付いたということが言えます。できない事をできないということは、

決して恥ずかしいことではない、逆に、できない事をできないと言えないのが、

恥ずかしいことなので…ということは、皆さんも気を付けてください。

 まとめ

実力と礼儀、相反するように思われるものですが、本当の実力者こそが、礼儀正し

いのだということを今回の騒動では物語っていると言えます。自分だけで、会議が

成り立っているという思い上がりを持っていたとしても、どこかで足を掬われる

可能性があるということが明らかになったのです。

それに、人の想いというものが来るということは、決して嘘ではなく、報道で

聞いた事実が本当であれば、相当な事をしでかしたということになります。

今回の事は、医療現場においても同様なことが言えると思います。

実力だけの世界ではない…この事実がわかる時、本当の意味で、人間としての成長が

あるのだろうと思い、今後も私自身精進していきたいと思います。

医療関係者への偏見、差別の現状

こんにちは。今回の記事を見て、私は、未だに、『医療者だけに留まらず、家族に

まで、偏見、差別がなされていること』に強い怒りを抱きました。

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差別、偏見の状況について

多くの方たちは、医療者の存在を評価していると言われていますが、一部の方たちに

おける差別、偏見が未だに起こっています。

報道でも見聞きしている方が多いと思いますが、『保育所や幼稚園への入所又は、

入園の拒否』『タクシーなどへの乗車拒否』などが普通に行われていることや、

学校内でのいじめにも繋がっているという現状があります。

医療職で働いている方が、真っ当な評価を受けれていない状況に、私は、怒り心頭

です。私の同期で薬剤師になっている方たちへの差別、偏見があれば、私は本当に

仲間を守るために、腹を括ることも厭わないです。

それぐらい、命を預かっている職種に対し、恩を感じていない方が一部にはいる

ということに、悲しみを感じています。

医療職の偏見、差別を生み出している原因

医療職の存在があるからこそ、医療現場が成り立っていること。研究している

方たちの存在があって、治療法が出来上がってきている。そういう度重なる研究の

果てに、回復への道筋がついているということに理解を示していますか。

コロナ禍でも、在宅勤務ができる業種とは違い、いつ感染してもおかしくない

現場で命がけで診療や治療に当たっているんです。

私の漢方内科の主治医の先生も、命がけで自分の使命にのとって診療を続けています。

休診することもできたはずであるのに、それをせずに、クリニックにおける救急

対応で培ってきた力を今もなお発揮しています。そういう先生も居られます。

ただ、そういう厳しい現場で働いている医療現場の方がなぜ、偏見、差別を受ける

ことになるのか。それは、もしかすると、『継続的な収入があること』に起因してい

るのかもしれません。一般的な平均年収は400万だと言われています。

しかし、医師や他の医療職の年収は、それをはるかに超えるものであり、多少の

減収があっても、継続的な収入が保証されています。

そういう現状があるということから、減収している業種からは、『生活水準』

の観点からも、嫉妬や羨望の標的になり、現場で大変な思いをしている現状を、

報道で見たとしても、その年収が現場で働くことで貰える代償であることまでは

理解できない部分があるのが現状であると思います。

医療職だからこその覚悟がないといけない

薬剤師の同期や先輩をみていて思うのは、やっぱり人から感謝される方とそうでない

方の差が、差別や偏見を受けるか否かに繋がるのではないか?と感じたことがあり

この記事を書いている時に、ふと思い出しました。

特に、今薬剤師として、岡山で一人薬剤師で薬局で頑張っている先輩と、石川で

一人薬剤師で薬局で頑張っている元国試浪人時の同期をみていて思います。

この二人は、薬剤師ですが、患者さんのためにだけではなく、地域のために、

頑張っていますし、それが、地域住民に伝わり、いい意味でやりがいを感じながら

仕事をしています。そのうえでこの二人は、腰が低い。

そして、至って冷静な対応をしてくれているので、ありがたいです。

しかし、そういう方ばかりではないのを私は知っています。医療職という立場を

利用した心無い言動をされる方を実際に見聞きしたことがありました。

そういう言動を見ている方がいる。だからこそ、その言動が引き金になり、

偏見や差別が起こってしまうこともあると言えるのではないかと推察します。

医療現場で働く立場という厳しい立場であることに、誇りを持つだけではなく、

人の心に十分寄り添った対応ができる、そういう覚悟が今求められているのではないか

と思います。

まとめ

ここまで書いてみて、今回の記事が差別や偏見を助長することになるのではないか、

という焦りも感じて書かせて頂きます。

私は、いかなる理由があろうとも、『差別や偏見』は許されない話であると思っていま

す。タクシーや幼稚園、保育所などは、感染が起こっても文句が言えない現場ですから

、多少の理解はできます。しかし、だからと言って、これだけの、コロナ禍の中で、

命がけで頑張っている方に対して、恩をあだで返すことは許されることでしょうか。

減収している業種からの羨望、嫉妬の標的になる可能性は否定できないことは書きまし

たが、それだけに留まらないと思っています。

差別や偏見を医療者だけではなく、家族にまで向けることは、決して許されないこと

であるということを、皆さんに理解して欲しいと思います。

以上です。それでは。