薬剤師になって見せる~医療職としての吟持を持って~

106回薬剤師国家試験に合格。次なるステージを見据えて自身の気持ちを前向きに考えて、薬剤師としての一歩を

なりたい夢を持っていること…その夢をどう叶えていきますか?

こんにちわ。

今日は皆さんに考えて頂きたい事があります。こちらの記事を見てください。

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私のように、時間を掛けながらも、なりたいと思える職種と出会い、

周りの環境が合わさって、いい意味でそのまま

なれていく方もいますが、そもそも、そういう方ばかりではないということを

理解されていますか?自分の夢を語ることが、決して悪いことではない、でも、

その夢を叶えるためには、どういう努力が必要か…そこまで、しっかり考える

ことが、できることが求められるのが、中学校以降から大人にかけてだと思います。

子どもの時の夢と大人の時の夢

子どもの時は、いろんな事が初めてで、心がワクワクすることが多いと思います。

夢も膨らんだことでしょうか。私も、『○○になりたい~』と親に言っていたような

気がします。しかし、中学校以降から大人にかけての夢は、『現実に近い』ものが

あります。特に、中学校における受験を経験している子の場合は、なりたい職種が

かっちり固まっている方が多いです。その夢を叶えるための、努力と

『現実的な堅実性を持った工程を踏む』ことに移行していきます。

大切なのは、自分が夢を叶えるために、どういう過程で努力できるかを考えられる

かなのです。子供の時の夢の続きに身を置けている方が中学受験を経験している

子では多いですが、そういう人ばかりではないはずです。

ただ、言葉だけで終わらせてしまっているか、否かで変わっていくものかなと

感じました。

薬剤師国家試験に合格したからこそ、見えてきた事

この度の合格で気分が前向きになっていますが、それだけではないことがあります。

私は、そもそも、生まれてこの方、医療現場にほん近いところで育ちました。

親がそこで働いていたこともあったのですが、幼い頃から、医療家系への期待は

周りからありました。その期待を逆に自分の力に変えられたら、また変わっていました

が、自分には力がなかったです。薬剤師国家試験を受けて、思ったのは、その道にだけ

突き進める力というものは、生まれ持ったものが大きく関与してきます。

勉強だけに身を置ける事もそうですが、そういった恵まれた環境に感謝する事も

できないと夢を叶えることが難しいと思います。

自分一人でできているわけではないということに、どれだけ、理解できているか

そこがかなり重要になってくると思います。

『なりたい夢を叶える』ための努力の継続ができますか?

私は、大学に入る前の二年間、浪人生活を行った経験があります。その当時は、

薬剤師になるというものもなく、それとは全く別次元の学部を目指していました。

しかし、成績が思うように上がらず、気持ちも前向きに慣れずにいたため、

薬学部を受験する事になりました。その時に、感じたものは『敗北感』でした。

成績がもっと上であれば、違う学部に入れたのに、という『罪悪感』も感じて

居ました。しかし、進級していくにつれて、徐々に思うこともでてきました。

それは、『夢を夢で終わらせるか、そうでないかは、その人の努力の強さ

決まるということ。これが一番、大きいのではないかと感じました。

成績があがる、上がらないなかでも、挫けずに、ただ、『ひたすら辛酸を舐めてでも、

努力する姿勢』があるのと、ないのとでは全く異なってきます。

成績がいいから、どう…ということではなく、それに至るまでの努力の大きさが

本当の意味で求められるんだと思うと嬉しかったですね。

努力ができる子が強いとはよく言われると思います。はなからなんでもできる人に

比べれば、不器用ですし、どんくさいでしょうが、それでも頑張ってやっていこうと

思える力が、あるかないかで異なっていくということは、理解しておく必要があると

感じました。

 まとめ

夢を叶えるために、自分がどこまでできるのか。まず、そこに意識を向いて頑張って

行く必要があるのは、分かったと思います。ですが、夢を潰さないだけの努力は、凄く

大切です。夢は逃げません。夢を叶える事ができるから、夢なんです。

辛酸を舐め続けて、屈折11年が決して無駄ではなかったということは、私が証明できた

ことだと言えます。成績が悪くても、周りが応援してくれたのは、私が全員に対して、

態度を変えない性格があったからだと思います。自分の中で、誇れるものがあれば、

その気持ちがあれば、なんとでもなる部分だと思います。

なりたい夢を掴むために、何ができるのか、そこから始めていきたいと思います。

106回薬剤師国家試験の結果から見えてくること

おはようございます!

本当にいろんな意味で皆さんからの反響に驚くとともに、結果を楽しみにしてくれて

いた方があまりにも多いということに、心より感謝いたします。

大学への連絡の際、他の大学時にお世話になっていた先生方へも電話を替わって

頂くということも頭が回らないところに、私の変な所がでたなと感じました。

合格したからこそ、言えるのかもしれませんが、これから107回薬剤師国家試験を

受けることになる人への励みになれればいいなと思います。

106回薬剤師国家試験の結果について

今回の薬剤師国家試験の結果は以下です。

出願者数   受験者数   合格者数   合格率
   全  体   15,680名    14,031名      9,634名    68.66%
   新卒者    9,983名      8,711名      7,452名    85.55% 

 どうでしょうか。もちろん、ここに記載がありませんでしたが、既卒者の合格率は

なんと、41.25%でした、確かに、カリキュラムの変更があったとはいえ、私たちの

ように、予備校そのものに、行かして貰える環境を与えれた、恵まれた環境の中で

勉強ができるのは、本当に感謝してもしきれない話です。

今後、予備校を使って勉強しようと思われている方へは、厳しいようですが、

みんながみんなが予備校に行かしてもらえていないこと、時間を有意義に使えることに

感謝して勉強をして欲しいと思います。

薬ゼミ頼みになっていませんか?

私の出身大学の合格率を見た時に、本当にびっくりしました。

今までで最低のレベルのように感じたんですね。でも、まだ、六割に近かったのも

あり、今回は仕方ないかなと感じましたが、衝撃を未だに拭えません。

そのような中で、私が感じたことは、以下の事です。

大学そのものの、力量よりも、薬ゼミへの依存が大きかったこと。

学生も、『既出問題からの繋がり』への意識の向け方が不十分であった。

まず、一つ目がかなり大きかったかもしれないです。

今回はコロナ禍で、かなり異なった環境での勉強が求められてきていましたが、

卒業試験もなかなか難しいものがあったのではないかとも感じました。が、

それなりのレベルの子だけを受からせていれば、大学の成績としては、高く出たと

思います。しかし、今回は、私は卒延になった時と同じく、レベルの低い子を

受からせていた可能性は十分にあり得ると感じます。

後もう1つ。今回はイレギュラーな対応が求められたのは、学生も教員も同じです。

しかし、そのような中でも、既出問題を置いて、科目毎の繋がりを意識して

どれだけ勉強ができたのかな?ということは感じました。予備校時代を経験してる

私でもそう感じるのですから、在校生はもっと大変な状況になっていると感じます。

そのような中で勉強がしっかりできた子と、そうでない子の差が大きく、結果として

如実に出てきてしまったのかもしれません。

でも、自分で勉強できる環境って、予備校でも、学校でも変わりません。

私の場合は、あまりにもできなかったので、研究室の先生から、『薬セミへの入校』

を強く勧められたので、ここまで、来ることができました。

しかし、予備校に行ったからとか、講義を聞いたからといって成績があがるわけでは

ないです。これが結構大事です。自分の中で、学んだことを、『咀嚼して』その後に

繋がるように、解釈を含めて、理解することや、暗記することをどれだけ、繰り返し

できたかであると思います。そして、自分の立ち位置をしっかり理解できることも

大事ですね。そのうえで、学習面での自立が、かなりの割合で占めていると

感じました。

合格を受け取ったあの日から三日経って

今まで偉そうに書いてきましたが、『どっちに転ぶかわからないまま』迎えた

合格発表の時。私は、自分の番号を他人の番号ではないかと思うほど、かなりの

動揺していました。なぜ、自分の番号がそこにあるのか?そして、受かったという

信じ難い気持ち。あの日は、自分でもなにがなんだかわからない状況でした。

そして、薬剤師国家試験の合格を今になって、実感してきています。完全に湧いていま

せんが、少しずつ不安を抱えながらも、安堵の気持ちが湧いてきていることは、理解

しています。とはいえ、あの怖さはいろんな意味で驚きと、嬉しさの入り混じった結果

発表だったのかもしれないと思いました。

皆さんへのエール

薬剤師国家試験に惜しくも、落ちてしまった皆さん、これから、受験へエンジンを

ふかそうとしている在学生のみんな。私もそうでしたが、受かっても実感は湧かないで

す。でも、この結果をどう受け止めるのかで、異なってくることもあると思います。

まず、皆さんには、お疲れ様と言いたい。落ちた方も、あと数歩…ということもあった

と思います。去年の私と同じです。でも、そういう結果を受け止めて、自分を責める

のではなく、何がわるかったのかを冷静に見て欲しいと思います。

落ちたことは決して悪くないです。その後の対応を間違えたら、それは悪いことです。

でも、その事実を受け入れきれない場合もあると思います。

その時は、大学の先生方、予備校の先生方を、又は、私のブログにコメントをつける

なりして、頼って欲しいです。

できないことに何も動かないより、有意義な時間を過ごすことができます。

それだけは、ちゃんと理解しておいてほしいと思います。

まとめ

とにかく、結果を顧みて反省すべきところは反省し、次に生かす。これができないと

負のループから出られなくなってしまいます。

そのループをどこかで断ち切らないといけない時が来ます。それが、薬剤師国家試験

に受かるためだとしたら…。勇気を持って欲しいです。

もし、同じ薬剤師国家試験を今後受ける方で、質問があれば、いつでも、コメントを

残して頂けるとありがたいです。

では。

結果…合格を頂きました。

こんばんは。

今回、106回薬剤師国家試験にこの度なんとか合格することができました。

自分がまさか受かるとは思っていませんでした。

自分の目を疑い、そこに記載されている番号に対して、驚きました。

全く実感はわいていません。自分が受かるだけの点数を出していたわけ

ではないので、驚きの方が大きいです。

受かった事による怖さが、今度は重く圧し掛かってきています。

これは国家試験を受けて来た方なら誰でも感じたことがある気持ちかもしれません。

でも、自分が受かっていいのか?という怖さを覚えました。

もちろん、この結果をキチンと周りの方には言いました。友人で今はもう

働いていいる方、転職する事になった方、大学の方、予備校の方…あげればキリが

ないほど、いろんな方に心配をさせてしまった申し訳なさの方が大きく感じられます。

屈折11年をかけてようやく手にした合格です。自分としては、『全く実感がわかない』

中での結果を感じています。驚きが強いです。

222で良かったなと何度も予備校の先生方に言われました。

確かに、215がボーダーであったということを踏まえれば、7点の差は大きく見えます

。しかし、この点数差を制した事がどれだけのものがあるのでしょうか。

私にはないと思います。

資格を取ることが全てと言ってしまうと、元も子もないですが、それに至るまでの

過程に対して、自分がどのぐらい向き合えてきたか…そこが大きく異なってくると

思うんですね。

薬剤師になることへの怖さは、自分が現場にでるんだという事実からは、想像が

できないぐらいです。命をお預かりすることがどれだけ怖い事なのか。

そこを乗り越えて、専門家としてプロとして成長するのかと思うと、これからが

本当に勝負であるんだという意識を持たないといけないなと感じました。

薬剤師になるということ、そして、医療現場への覚悟を持って、就職活動を

して行きたいと思っています。

周りに心配かけ通しの人生でしたが、ある意味、これで親孝行ができたのかも

しれません。でも、これからが勝負と思い、日々を過ごしていきたいと思います。

結果が出て、本当に良かった…自分の努力が決して無駄ではなかったのだということを

証明できたと思います。

読者の方には、たくさんの激励や、励ましのコメントを頂きました。

お陰で辛くなった時も、乗り越えることができました。

心より感謝申し上げます。今度は、自分が本当に薬剤師として、専門家としての

一歩をしっかり踏みしめていきたいと思います。

長いようであっという間に過ぎた予備校時代。苦労の連続でしたが、自分の

頑張りが本当に実になってくれたと思い、実感がわかないながらも、安堵しました。

本当に良かったです。では。

日本の性教育をどう考えるか?~子供を作るだけではなく、育てるための環境整備の必要性~

おはようございます!

今日が結果発表ですが、皆さんいかがでしょうか。

不安な気持ちを持っている同じ境遇の方も居られると思います。

お気持ちお察しします。

今日皆さんに考えて欲しい事の一つに、『赤ちゃんポスト』の存在、そして

日本の性教育の現状について考えていきたいと思います。

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赤ちゃんポストの存在意義

医学部受験をしたことがある方でも、ない方でも報道で一度は見たことがある

と思います。この赤ちゃんポストは、熊本県にある慈恵病院に第一号ができました。

当時は、いろんな方の反発もありましたが、当時の県知事の英断で、認可がおり、

開始された経緯は有名な話です。

ですが、この赤ちゃんポストが何のために設置が必要であったかまで、深く理解

されている方は少ないと思います。

この話をする前に、皆さんは、この本を知っていますか?

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私も初めてこの本と出会い、看護師であり助産師でもある著者も、共同で

赤ちゃんポストこうのとりのゆりかご)の設置のために参画したという事実は

本当に凄い事であると思ったものです。

周りの反対を押し切り、小さな命を守るために必要な対応をされたということに

敬意しかないです。しかし、望まない妊娠をしてしまう方が多いということを

問題だと認識して、いろんな教室を開催するなど、精力的な活動をされていること

などを聞くと、子供の命を守るのは、親の命を守ることにも繋がるのかなとも

感じました。

日本の性教育の現状

日本では世界水準の性教育が未だにされていません。寝た子を起こすなという

考えが未だに根深く残っていることも要因でしょうか。

しかし、学校の教育なんかで十分な『性の知識』が伝えられているのでしょうか。

学校への講演でも、思うような講演ができないことに、モヤモヤを感じて、

YouTubeを開設することを決めたとシオリーヌさんが言うように、きちんとした

性教育をしようとすればするほど、ガイドライン遵守をモラルとして掲げている

教職員の方から、止めが入るのは正直しかたないことであると思います。

ただ、今回の議員さんも言われていますが、『``慎重に検討している‘‘間に

どんどん、子供たちが苦労している』というのは、本当になるほどなと感じています。

大切な部分を先送りにする考え方、政府の考え方に異議を立てるわけではないですが、

やっぱり、もう少しスピード感ある対応をお願いしたいと感じています。

性教育が不十分であるからこその事件が起きている

そもそもですが、性被害や性暴力など、性に関連した事件が多いですね。

子どもの虐待など、目をそむけたくなる事件が多く勃発しているのが現状であると

思います。これらの多くは、親御さんの育児疲れや妊娠自体が望んでいなかった

ということ…様々な背景が隠れています。

その中で私自身が思うのは、『親になる覚悟が足りていない』『子供を虐待するなら

産むな』という批判的な意見は通用しないと思うんですね。

そもそも、親になることでいろんな事を経験し、思い、やっていく上で、子供の

成長を喜びながら生きていくことが喜びに繋がっていくと思うんです。

しかし、親二人が共に共働きである場合、そういう『束の間の喜びに浸っていられる

だけの心の余裕があるのでしょうか?』

旦那さんの給与だけで生活している専業主婦の方からみたら、虐待するなんて?

と思われると思いますが、心そのものに余裕がない中で生活している方からしたら

そんな『心が休まることはない』ということになるんですね。

産休もそこそこに上がって仕事をされる方もいますが、いろんな働き方を応援する

支援策が今後は必要になりますし、心に余裕を与えられるそんな環境が必要

ではないかと思います。

まとめ

日本の性教育の不十分さが、望まない妊娠や虐待を助長しているようにも思えて

なりません。これから結婚などを考えて居られる方や、今の中学生、高校生にも、

きちんとした性教育の伝達が急務ではないかと感じています。

『虐待するぐらいなら産むな』という考え方は、正直『無意味なもの』であります。

適切な教育を受けていれば起こることがなかったと私は感じています。

虐待する人の心まで治すことはできませんが、虐待する方を減らせることが

凄く大事であると思います。

中学受験をする意味…皆さんはどう考えられますか?

今日最後の記事です。こんばんわ。

私が今回の記事で思ったのは、中学受験を経験する意味、そして『偏差値が低くても、

そこに行きつくまでの努力』をどれだけ、認めれるか?そこに重点を置いて考えて

みたいと思います。

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偏差値重視の中学受験の弊害

私がいた田舎の場合、中学受験をするにしても、私の町内から出ないといけない

という状態で、選択肢が全くない状況でした。しかし、公立中への進学は難しい

という極限状態でしたので、仕方ないという状況でした。

しかし、一方で都会の場合は、どうでしょうか?沢山、選択肢が広がっており

どこに行こうかとえり好みができる環境とも言えます。

しかし、そんな中でよく言われるのが、『御三家に入る、よりよい中学校に入る』と

いう話がされています。要は、『偏差値重視で学校を選択』しているということ。

これって、結構リスクがある行為なんです。まだ、中学段階ですから、皆さん思わない

のではないかと思いますが、同じことを大学受験でされている方がいたら、それは

かなりリスクがあります。それは、『進学が目的になっているだけ』になっている

ということを意味している行為であるからです。

中学でも同じです。できる子には上の学校に行って欲しい…親御さんなら誰でも思う

ことですよね。ただ、そこの学校に入って本当に何がしたいのかが分かっていないと

自分の中での違和感からやる気をなくしてしまう可能性もあるということを理解

できることが大事であると思います。

中学受験における『根本としての利点』

途中で受験を挟まずに、大学受験までに十分な時間を勉強に充てられる…ということを

考えて居られる方が多いですが、実は違います。

中学受験をする意味…その利点はずばり『勉強するための環境の中で勉強するという

習慣を身に着けさせるための準備期間』です。大学受験の後、国家試験勉強をしていく

上で、集中力の維持、モチベーションの維持などをうるさく言われるようになります。

この時に自分がそれだけ『高い集中力の維持やモチベーションの維持』が簡単にできる

ようになるんです。自分が『それだけ必死になって勉強した経験』がある。それが

成功体験になり、中高での勉強に身が入り易くなり、大学受験、果ては資格試験におけ

るまで、その成功体験が基になっていますから、勉強意欲が落ち込むことが少ない

ということも言えると思います。

中学受験を人生のゴールに設定しないで

言い過ぎかもしれませんが、よく見るブログでは、結果が悪いと落ち込み、メンタルが

ひきつってしまっている親御さんが多い印象を受けます。上位クラスで周りが優秀であ

るからこそ、そこで何とか上に行こうとするために、一回一回のテストで一喜一憂を

繰り返されていることもしばしばです。

正直そういう所を見ていると、中学受験の立ち位置をどこに設定されているのかな?

と疑問を感じずにいられません。これは親御さんが、中学受験経験者なら尚更、

自分が出来たんだから、子供もできるという印象を持たれてしまうという辛さがある。

子どもは必至になって親の顔に泥を塗らないように頑張っている…そういう状況を

作り出していないでしょうか。

試験の出来不出来で、一喜一憂するのではなく、じゃあどうしたら点があがるのかを、

含めて再度考え直す事ができると思います。

中学受験はまだ、スタート地点であるという認識をもってほしいですね。

大学受験まで長期間の準備期間が中学受験から始まっている…と言っても過言ではない

と思います。

まとめ

資格を取るまでの精神の維持は本当に大変です。しかし、中学受験でその準備期間が

与えられたということは、凄く有難い話だと思うんですね。でも、そうはいかない

部分もあると思います。ただ、偏差値重視だけで学校に通わせようとするのは、

本当にやめてください。それをすることは、子供の可能性を潰しかねない惨事を

起こします。偏差値が上がらずに苦労している子も、多くいます。下位クラスで

日々しんどい思いをしながら頑張っている方もいます。そういう子たちに対して、

偏差値だけの世界を常に言い続けるのは、あまりにも酷です。

そういうことがないように、して頂けるとありがたいと思います。

後発医薬品ってそもそもなんじゃい?

こんにちわ。今回は、リンゴさん(id:hanamaru_life)の疑問に対して

応えていく形で記事を書きたいと思います。

hanamaru-life.hatenablog.com

今回の記事は、私もびっくりしました。薬の事をきちんと考えて使おうと

する姿勢が見えてくる感じが伝わりました。本当にもっと多くの方が、使う

ことになるであろう薬への理解がこれから深まっていくのかなと感じました。

では、始めていきます。

先発品と後発品の違い

先発品とは?

医薬品メーカーが何億という資産をつぎ込んでやっとでき、承認を受けたのち、

まず初めて売り出す医薬品の事です。実際に薬として世に出されるまでには、

多くの障壁が立ちはだかります。中には、臨床試験の段階で、ダメになるものが

あります。その前に、非臨床試験という、動物実験又は細胞に対して行われる事

があるんですが、その時点でダメになる可能性もあります。そのような壮絶な

競争を勝ち抜き、ようやく薬として出来上がった医薬品です。

もちろん、承認を受けるにあたっては、いろんな結果やデータの提出が求められ

るため、それにより、余計に高い投資が必要になることもあります。

後発品とは?

先発品で沢山のデータが出て居り、大体わかっていることから、そういう部分での

投資が不要であることから、多少値段が安く抑えられるということがわかります。

ただ、先発品と成分は一緒ですが、添加物が異なることがあります。

稀に、オーソライズジェネリックのように、先発品と同様の製造工程と、添加物も

一緒のものもありますが、これは、先発品とは同等の効果があります。

先発品との生物学的同等性についても、同様であるということを調べることが

求められています。『Cmax(最高血中濃度)とAUC(血中濃度時間曲線下面積)

が同等である』ということが前提条件になっています。もちろん、バイオアベイラビリ

ティも同じであるということが規定されています。

 先発品と後発品が両方あるかどうか~先発品しかない医薬品もある~

先発品と後発品の両方がある場合、これはいいんですが、実際には、先発品しか

ない薬もあります。例に、メチルフェニデートを上げてみましょう。

よくAD/HD治療薬で使われているコンサータという徐放性製剤があります。

しかし、この薬には、後発品がないんです。

後発品がないということは、先発品以外の処方ができないということになります。

後、今回の題とは異なりますが、ついでなので、書きますと、

後発品にはない適応症を先発品が持っている場合があります。これは、先発品が

承認時には敢えて一つしか出さなかったが、後発品が売れる時期が来る、

ギリギリのところで、隠していた適応症を出し、承認し直す場合があります。

それにより、後発品では、その適応がないために、売れない現象が起こります。

なので、適応症を確認することが結構大事であるということが言えますね、

今回の場合はどうでしょうか。

             マクサルト:適応症➡片頭痛

           リザトリプタン:適応症➡片頭痛

 

今回は同じでしたが、まれに全然異なる場合もありますので、薬剤師の方は

気を付けないといけないので、大変です。

後発品を勧めるのが世の流れかも…でも、使用を決めるのは『患者さん』

今の現場は、国の施策である『国内使用率80%』に追随する形で後発品を勧めて

います。しかしながら、後発品に無理やり変えさせることはできません。

それは、『先発品を使用するか後発品を使用するのは、患者さん本人が決める』

ということが規定されています。存在の説明や後発品への切り替えなどにも

対応しますが、患者さんが『先発品がいい』という意志を持っている場合は、

それに従うしかないんです。

薬局でも、後発医薬品使用体制加算という調剤報酬に明記されているように、

より多くのジェネリックへの使用切り替えのための体制を必要とされています。

もし先発品の求めがあってもよいように、先発品もそろえておくことが大切です。

 もし、先発品を使うことを決めたとしても、会計時に、後発医薬品体制加算がつい

ているため、少し値段が高くなることがあります。

推進することは確かに必要な事でありますが、患者さんの気持ちが蔑ろに

なっていないだろうかと感じました。

まとめ:今後の先発品、後発品への使いようについて

薬剤によっては、後発品がない場合や、患者さん自身が、『先発品以外を使いたくな

い』という気持ちを発することもあります。その時は、きちんと患者さんの心に寄り添

うことが大事だと思います。後発品に一気に変える事をせず、分割調剤を提案すること

も認められていますし、患者さんがどうしたいのかをきちんと見極めた対応が必要で

す。単純に、国の方針に追随だけをしていたら良いという考え方ではだめです。

中には、薬価を気にされる患者さんも居られると思います。そういう患者さんに

対しては、『どの程度、ジェネリック医薬品を使うことで、安くなるのか?』

ということをしっかり説明する必要もでてくるでしょう。

後発品は、先発品より劣るということはないです。きちんと検査もしているため、

そこにおける問題はないです。

患者さんのニーズに合わせた対応に準じて、先発品又は後発品を使い熟すことが求め

られていると思います。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              

私が、思う『北山先生のこと』

おはようございます!結果まで、後一日になってしまいました。

結果は結果として受け止め、前を向き続けることを努めていこうと思います。

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皆さんは、この方をご存知でしょうか。少し、年齢が上の方ならご存知の方も

多いのではないかと思います。北山修さん。

『あの 素晴らしい 愛をもう一度』を書いた方で、実際にうたわれた方です。

相方の加藤さんと一緒に活動をされていました。

北山さんの凄いことは、学業の傍ら活動を続けていたということです。

そして、ちゃんと医師となっているんです。前にも、医学部生が、音楽活動を

していた事を見ていたんですが、やっぱり学業との両立の厳しさ…これがネックに

なって大学を退学されたそうです。

こういう風に見ると、本当に『そうれ相応の覚悟を持って医師になることを選択

した』北山さんなんだと感じました。

なぜ、『あの 素晴らしい愛を もう一度』を記事に書いたのか。

実際に聞いたことがある方が多いと思いますが、私は、この曲を知ったのは、父の

車で流れていた音楽の中で、一番心に残ったからでした。

私は大方の古い曲以外、知らないです。なぜかというと、父が古い曲以外をかけて

こなくて、小さい頃から聞き続けてきたのでそれに慣れて、鼻歌まじりに歌えて

しまうんですね。でも、今回のこの曲は、本当に『今の時世の方に聞いてほしい』

と思います。コロナ禍で『人と人の温かみのある関係より、ギスギスした関係』が多く

なっています。そういう世情を見て、この曲でいい意味で、大事な事を教えてくれるの

ではないか?と思っていたとうのが本心にあったからです。

相方を『自死』で無くす、その無念さが『精神科医』として重く圧し掛かっているという本人の気持ち

相方で一緒に活動してきた加藤さんを自死により、失った事。これは、医師として

本当に辛い気持ちになったであろう経験だと思います。

 「加藤君には2人の人間がいた。1人は楽しく明るく前向き。もう1人は厳しく完全主義で怒ると怖い人。今回はそのもう1人が自分を殺してしまったんだと思う。曲を制作する時は人の意見も聞いてくれたんだけど、最後の幕引きでみんなの意見を聞いてくれなかった」

 これは、出棺前の挨拶で言われた言葉です。この言葉から、皆さんは、どう思われるで

しょうか。この一言を言う事への心苦しさがどれだけあったのだろうか。

加藤さんの特性を知り、精神科医という立場で活動している身でありながら、本当に

助けないといけない存在を失う事。自分のやるせなさから、出た一言だと思いました。

加藤さんを表した言葉がこちらです。

 「すべてが一流のプレーヤー」と評し、一人の人物の中に音楽家と演出家という、2つのあり得ない役割が両立できるがゆえに、なかなか自身は満足が得られない天才の不幸を指摘。

 ここで言いたいのは、実際に一緒に活動してきた仲間を、『音楽家と演出家の二つの

立場を両立できる』と評しています。そして、天才と認めているんですね。

自分の立ち位置を理解し、相手を評価できる事。なかなか難しい立ち振る舞いですが、

それができるだけの力があるという点で、北山先生のお人柄を見た気がします。

大学の学長へ

精神科医として、臨床家としてだけではなく、研究者としての顔もある。

それだけではなく、多くの人の心を打つ楽曲の作詞家としての顔もある。

そういう多彩な活動範囲を持っている方が学長になるということは、本当に

凄いことではないかと思うんです。

医療の現場を見ているからこそ、何が今社会に求められているのかということに

前向きに向きあえる力を持っている。ということも、今回の学長就任の際に、

見られた部分ではないかと思います。

まとめ

読者登録をして頂いた方が、精神科医を目指されているということなので、ちょっと

その方に寄せた記事になってしまいましたが、多彩な活動の幅を持つ医療者の存在も

あるんだということを知って頂きたいと思い記事にしました。

医療者といっても、いろんな方がいます。昔であれば、斎藤茂吉さんが有名かもしれま

せん。そういう事も含めて、いろんなことに興味関心を向けていくことが凄く大事だな

と感じました。